三石精一は幼時よりピアノを始めピアニストを目指すが、14歳の時、右手薬指の腱鞘炎のため断念し、下総院一氏について作曲を5年間学ぶ。
1950年、東京芸術大学受験を前にして、金子登氏に指揮者の道を勧められ、翌年東京芸術大学指揮科に最初の唯一人の学生として入学し、金子登、クルト・ヴェス、渡邉暁雄の諸氏に師事する。
 1955年卒業後、同大学院指揮科専攻科に進み、翌年同科修了と同時に、芸大指揮科と同大学附属高校に於いて教鞭をとる。
 卒業当初は主にピアニストとして、ヴァイオリンの諏訪根自子、声楽の藤原義江、大谷冽子、砂原美智子、アリゴ・ポーラ、ゲルハルト・ヒッシュ、木琴の平岡養一他の諸氏の伴奏者として多忙を極める。
 一方指揮者としては、1956年長門美保歌劇団公演メノッティ作曲「泥棒とオールドミス」、「電話」の指揮でデビューし、その後ABC交響楽団等を中心としたコンサート活動をする他、藤原歌劇団、谷桃子バレエ団、東京シティーバレエ団等でオペラ、バレエを数多く指揮し、1959年には藤原歌劇団の公演でブリトゥン作曲「小さな煙突掃除」、ラヴェル作曲「スペインの時」を日本初演する。
 1969年、読売日本交響楽団を指揮して第1回リサイタルを開き高い評価を得る。
 その後、日本全国のオーケストラの客演指揮を重ねる。 1973年渡欧、ヨーロッパ各地でオーケストラとオペラを研修する。
 1977年、文化庁在外研修員として、ウィーンフィルとミュンヘン国立歌劇場において研鑽を積み、帰国直後の1978年、読売日本交響楽団に専任指揮者として迎えられ、以後フ年間同楽団の指揮をとる。 
 その間、1981年のヨーロッパ公演では東ベルリン等で絶賛を博した。

 演奏活動の傍ら1956年より東京芸術大学指揮科、東京芸術大学附属高校、愛知県立芸術大学、国立音楽大学大学院などで教鞭をとり、東京音楽大学には1965年オーケストラの指導のため迎えられ、1976年教授に就任し、以後、指揮科主任教授として37年の間後進の指導にあたり、2002年定年退職、名誉教授となる。
 1997年、東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督・常任指揮者に就任、2004年社団法人青少年音楽協会会長に就任、現在に至っている。
 また、アマチュア・オケの指導にも情熱を傾け、中でも東京大学管弦楽団とは30年に及ぶ歴史があり、終身正指揮者の称号を贈られている。
 地方の音楽文化向上にも力を注ぎ、例えば1971年に設立された鹿児島オペラ協会において、10年以上にわたり演出の栗山昌良氏との協同作業で指導し、音楽之友社賞を受賞している。



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